言葉だけでいいから、僕のこと、信じてくれないか。
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「失う」とはどういうことだろうか?
僕らは何かを得た代償として何かを失うのだろうか?
あるいは「失う」とは、それ自体で何者にも換え難い「何か」なのだろうか?

 Elizabeth Bishop(1911-1979)という女性は「失う」という概念に真剣に向き合った詩人だった。

ものを失くす技術を覚えるのは、難しくない。/The art of losing isn't hard to master.

僕らはいろんなものを失う。そして全ては「過去」へと帰される。にもかかわらず、僕らは「過去」に囚われており、そこから逃げ出せずにいる。愛する人を失った悲しみは何ものにも換え難い。にも関わらず彼女は、I shan't have lied.(ものを失うことはやさしいという私の言葉は、「嘘」にならないだろう)と嘯く。詩人は耐えているのだろうか?

 この詩は、villanelleと呼ばれる17世紀フランスの複雑な詩型で語られる。脚韻は2種類のみ、第一連の第一行と第三行全体の変形が、かわるがわる各連の最終行で繰り返され、第6連ではその両方が現れる。是非、朗読を聴いてその音の美しさを体感していただきたい。

→詩の朗読ビデオを見る

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One Art

The art of losing isn't hard to master;
so many things seem filled with the intent
to be lost that their loss is no disaster.

Lose something every day. Accept the fluster
of lost door keys, the hour badly spent.
The art of losing isn't hard to master.

Then practice losing farther, losing faster:
places, and names, and where it was you meant
to travel. None of these will bring disaster.

I lost my mother's watch. And look! my last, or
next-to-last, of three loved houses went.
The art of losing isn't hard to master.

I lost two cities, lovely ones. And, vaster,
some realms I owned, two rivers, a continent.
I miss them, but it wasn't a disaster.

---Even losing you (the joking voice, a gesture
I love) I shan't have lied. It's evident
the art of losing's not too hard to master
though it may look like (Write it!) like disaster.





 アメリカのFrank Stocktonという児童文学作家が書いた短編。所謂、リドル・ストーリー(読者に結末を任せる物語)と呼ばれるものだ。

 とある国で、罪人を裁く時に支配者の裁定や法律に拠らず、『女か虎か』という方法が採られていた。 罪を犯して裁かれる者は、観客で満員の闘技場に引き出される。 観客席と闘技場の隔壁の正面には扉が二つ。闘技場に連れ出された罪人は、二つの扉のどちらかを開けなければならない。 一つの扉の向こうには飢えた虎、もう一方の扉の向こうには一人の美女が待っている。 審判は、罪人の選択という運命に委ねられる。 虎の扉を選べば、言うまでない結果がまっており、美女のいる扉を選べば、彼はその美女を得て、無実の裁定を受けることになる。 ただし罪人は必ずその美女と結婚しなければならない。 ある時、血筋は良いが身分の低い若者がこの国の王女と恋に落ちた。 二人の恋はやがて王女の父である国王の知るところとなり、若者は激怒した国王に捕らえられ、裁きの場に引き出された。 父王と共にその場に臨席する王女は、どちらの扉が虎のいる扉で、 もう一方の扉の向こうにいる女が、自分の恋人である若者に恋している美女だということも知っていた。 若者が虎のいる扉を選べば、彼は飢えた虎に噛み殺されてしまうだろう。 しかし、若者が美女のいる扉を選べば、王女は彼が自分以外の女と結ばれる様を見なければならない。 命永らえた若者は、彼を恋い慕う美女と結婚し、決して結ばれることのない身分違いの恋を忘れてしまうかもしれない。 その可能性を考えると、王女は嫉妬で気が狂いそうになる。 闘技場に引き出された若者が、臨席している王女に視線を向けると、王女は彼にだけわかる仕草で、選ぶべき扉を指し示すのだった・・・

 虎か女か。(THE LADY,OR THE TIGER?)

 彼女はどちらを選んだのだろうか。答えはない。どちらもありえそうな話ではある。いずれの扉を選んだにせよ、結末も様々な可能性がありそうだ。それがこの物語のリドル・ストーリーたる所以である。どうやら、僕らはこの手の「答えのない」物語にひかれる傾向があるらしい。現に、この続きを巡ってさ多くの物語がネット上にひしめき合っている。これは、僕らが人生で出会う某かの「究極の選択」に似ているのかもしれない。どちらかを選ばなければいけない。でも、どちらも選ぶことができない・・・

 ただし、気をつけないといけない。選ばないことも選んだことになってしまうのが現実である。僕らはやがて選択を迫られる。その時、僕らは後悔することなく、誠実に生きていくことができるだろうか。(これは、少し感傷的な脱線です。誠実さというのも微妙な問題だから)さて、どちらの扉を選ぼうか。

 ちなみにこの国の王はsemi-barbaric king(半分野蛮な王)であるという。だとすれば、その血筋を引く娘もsemi-barbaricである可能は高そうだ。それから、「血筋が良くて身分が低い若者」というのは、この手の物語の常套句であることにも注意したい。(その点では、シンデレラもその手の物語に分類することができる。そう考えると、シンデレラ・ストーリーというのは、現代の感覚と大分違うことが明らかになってくるのだが、それはまた別の話。)

 いずれにせよ、僕らの想像力は―欲望と同様に―尽きることがない。
最後に・・・避けて通ろうと思ったが、筆者が王女なら美女のいる扉を目配せする。だって、世界の多くの男女は虎を選ぶに違いないから。

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