言葉だけでいいから、僕のこと、信じてくれないか。
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 6月27日の朝は、晴れ渡った空の下、さわやかな夏の日だった。午前10時近くになると、村人たちが広場に集まり始める。この村には毎年この日に「くじびき」をする慣習があった。この「くじびき」は今年で77年目であり、村の最長老のワーナー爺さんでさえ、その起源を知らないほど古くからある慣習であるらしい。くじはまずそれぞれの家族の代表が引く。その後、当たりを引いた家のものがもう一度引いて当選者を決めることになっている。
 さて、進行役のサマーズ氏の音頭で行事が始まった。ハッチンスン、ダンバー、ワトスン…。次々にくじを引いていく。結果、今年の当たりくじを引いたのはハッチンスン家だった。そのため、主のビルと妻のテシー、そして子供のビル・ジュニア、ナンシー、デーヴの5人が2回目のくじを引く。果たして当たりくじは誰が引いたのか。それは妻のテシーだった。テシーは狼狽して言う。

 こんなの公平じゃないわ。正しくないわ。/It isn’t fair, it isn't right.

 テシーはくじの無効を訴えるが、誰にも聞き入れられない。村人たちは一斉に手に石を持ち、彼女に躙り寄る・・・

 Shirley Jackson (1916-1965)『くじ』(THE LOTTERY )は、アメリカでは非常にポピュラーな短編のひとつ。1948年、雑誌「ニューヨーカー」に『くじ』が掲載された当初、「これ以上『ニューヨーカー』を講読したくない」という何百通もの手紙が編集部に届いた、というエピソードがあるほどの問題作となった。時代は第2次大戦の直後、人々の反響は想像に難くない。
 この作品の怖さは、日常性に潜む暴力であり、その残酷な慣習があまりにも当たり前の日常風景として定着していることにある。のどかな村の情景、何気ない家族間のやりとりから、物語は一気に悪夢へと疾走するのだ。何故彼女は殺されなければならなかったのだろうか。ワーナー爺さんと村人たちの会話から、「くじ」が共同体を維持するために欠かせないシステムであることが暗示される。だが、それが何故なのか、説明は一切無いのである。当の村人たちでさえ、疑問に思っている節はない。そのことが僕らの恐怖を増幅させる。この村は果たして僕らの住む世界とは全く異質の物語世界に過ぎないのだろうか?くじ引きの様子は、某国の選挙の様と似てはいないだろうか?「私はただ物語を書いただけ」とシャーリーは言うのだが。

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多分、意図するところとは違うのだけれど、そういうことって現実にあるよね。

誰もが、自分の身に降りかかるまでは、疑問を呈さず、いざ己の番になると、全ての正道は我にあり状態で、おかしいと叫ぶ。

去年も、一昨年も、テシーは石を投げてるのにね。

だからかな?
殺したから、殺されるのかな?
それって、普通の戦争と一緒だよね。戦争に限らず、学校で起きるイジメの連鎖にも似てるけど。

この物語、私にとっても、異質でもなんでもなく、ごく身近な光景にみえます。
人間誰しも死ぬのは怖いと思います。たとえそれがルールであったとしても。だから、テシーを責めるのは酷だと思うんですね。

 ここでは割愛しましたが、どうやら隣町ではこの慣習を止めたという経緯もあるのです。それも解釈にとって重要なキーになるかもしれません。

 どちらかというと、

 この物語、私にとっても、異質でも なんでもなく、ごく身近な光景にみ えます。

と、何故シェバイさんが感じるのか?その心理について考えたほうが面白いかもしれませんよ。

 なぜテシーが殺されるのか?という疑問については、テクストを丁寧に読むと、理由は(それなりに)ありそうです。テシーが(どういうわけか)遅刻する件も妙ですし、共同体が持つ女性嫌悪(直接書いてあるわけではありませんが)も見て取れるます。

この物語の怖さは、内容よりその語り方にあるのです。おそらく布石が上手いんですね。妙な違和感を抱かせたまま、平穏な日常が急転回する。ホラーの常套句と言えばそれまでですが、どことなく病的です。(実際、シャーリーは精神病を患っていました。)

 本文の太字をクリックすると原文が読めますし、訳本は宮部みゆきが出しているようですから、余裕があったら一読することをお勧めします。






  
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