言葉だけでいいから、僕のこと、信じてくれないか。
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僕らは穴を見ると覗きたくなるものだ。片目を閉じ、安易に中を覗き込み、その闇の深さにそっと胸をなでおろす。だが、穴は見つめれば見つめるほど肥大化し、やがて手の施しようがないほど深淵な闇になる。どこまでも暗く、深い。最早誰も―本人でさえも、―その穴を埋めることはできない。その実、僕らは知っている。「見ること」は「見られること」だ。穴を覗きこんだ主体そのものが、逆に自らを対象化するという逆説。象徴的な鏡の魔力。

男は床に開いた小さな穴を覗きこむ。カメラ・アイは穴の底から具に男の顔を捉え、僕らはそれを共有する。日々穴は広がっていき、男は穴に落ちる。だが、彼は這い上がろうとはせず、闇の中に留まろうとする。何故か?シュヴァンクマイエル初期の短編さながらのイメージだが、この映像はそこまでのダークさは持ち合わせていない。よりドライで、諦念の情に満ちた人間は、暗闇の居心地の良さを知っている。それはシュール・レアリスムでは表現できない。むしろ、目に見える何か(=穴)なのだ。それでも、人間は「闇」を共有したいと望まずにはいられない。男は言うだろう。

I will follow you into the dark.

かつてランボーは、谷間に横たわる名もなき兵士の銃痕(=穴)からカメラ・アイを引き下げることで、兵士の身体を言葉のみで表現した。この映像のベクトルは一見逆に思えるが、男が穴に近づいていけばいくほど、視点はそれを客体化し、穴の内側―それは常に外側でもありうる―から彼を傍観する。穴に埋没していく男は当然のように穴に縋り、やがて闇に呑まれていくだろう。穴を塞ぐすべを知らないから。

それでも忘れてほしくないのは、ファースト・カットとファイナル・カットに、窓の外からの声が挿入されていることである。小部屋の外には光が溢れ、子供たちの声が絶え間なく響いている。果たして僕らはそれを聴き取ることができるだろうか。


※1:Death cab for cutieは、シアトル出身の若手ロック・バンド。良質なポップ・ミュージックを量産し続けている。彼らのBody meets Soulという曲のPVも一見の価値あり。

※2:監督はRadio head,Cold Play等、UKのロック・バンドを中心にPVを製作している、鬼才Jamie Thraves。

※3:本文は歌詞の内容とは殆ど関係ありません。管理人の極めて個人的な随想です。歌詞を知りたい方はmore...をクリックしてください。

→PV視聴

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