言葉だけでいいから、僕のこと、信じてくれないか。
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 今日紹介するPVはカナダ人歌手Daniel Powterの『Bad day』。HIP-HOPをはじめ、昨今のPVが暴力的で性的なイメージを量産しているだけに、こういうのを見ると、僕らはノスタルジーを感じるに違いない。こういう男女の出会いも、在り方も僕らが生み出した虚構の物語=フィクションに過ぎないのだが、それでも、僕らはこういうものが好きだ。ノスタルジーさえも産業の中に取り込んでしまうMTV業界というのは恐ろしいものがあるが、ストーリーの運びもわかりやすいし、カメラワーク(二分割画面の多用など)も効果的でよくできていると思う。ちなみに、このPVは今年のMTVアワードにノミネートされているそうだ。こういうのがマス受けする現状には、少しホッとさせられる。エミネムが総なめにするよりはマシか。
 

甘酸っぱいです。

http://www.danielpowter.com/(←PV視聴)

http://www.sing365.com/music/lyric.nsf/Bad-Day-lyrics-Daniel-Powter/38B783F065AC79B448257051000A4217(←歌詞が知りたい方はこちら)

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 アメリカのFrank Stocktonという児童文学作家が書いた短編。所謂、リドル・ストーリー(読者に結末を任せる物語)と呼ばれるものだ。

 とある国で、罪人を裁く時に支配者の裁定や法律に拠らず、『女か虎か』という方法が採られていた。 罪を犯して裁かれる者は、観客で満員の闘技場に引き出される。 観客席と闘技場の隔壁の正面には扉が二つ。闘技場に連れ出された罪人は、二つの扉のどちらかを開けなければならない。 一つの扉の向こうには飢えた虎、もう一方の扉の向こうには一人の美女が待っている。 審判は、罪人の選択という運命に委ねられる。 虎の扉を選べば、言うまでない結果がまっており、美女のいる扉を選べば、彼はその美女を得て、無実の裁定を受けることになる。 ただし罪人は必ずその美女と結婚しなければならない。 ある時、血筋は良いが身分の低い若者がこの国の王女と恋に落ちた。 二人の恋はやがて王女の父である国王の知るところとなり、若者は激怒した国王に捕らえられ、裁きの場に引き出された。 父王と共にその場に臨席する王女は、どちらの扉が虎のいる扉で、 もう一方の扉の向こうにいる女が、自分の恋人である若者に恋している美女だということも知っていた。 若者が虎のいる扉を選べば、彼は飢えた虎に噛み殺されてしまうだろう。 しかし、若者が美女のいる扉を選べば、王女は彼が自分以外の女と結ばれる様を見なければならない。 命永らえた若者は、彼を恋い慕う美女と結婚し、決して結ばれることのない身分違いの恋を忘れてしまうかもしれない。 その可能性を考えると、王女は嫉妬で気が狂いそうになる。 闘技場に引き出された若者が、臨席している王女に視線を向けると、王女は彼にだけわかる仕草で、選ぶべき扉を指し示すのだった・・・

 虎か女か。(THE LADY,OR THE TIGER?)

 彼女はどちらを選んだのだろうか。答えはない。どちらもありえそうな話ではある。いずれの扉を選んだにせよ、結末も様々な可能性がありそうだ。それがこの物語のリドル・ストーリーたる所以である。どうやら、僕らはこの手の「答えのない」物語にひかれる傾向があるらしい。現に、この続きを巡ってさ多くの物語がネット上にひしめき合っている。これは、僕らが人生で出会う某かの「究極の選択」に似ているのかもしれない。どちらかを選ばなければいけない。でも、どちらも選ぶことができない・・・

 ただし、気をつけないといけない。選ばないことも選んだことになってしまうのが現実である。僕らはやがて選択を迫られる。その時、僕らは後悔することなく、誠実に生きていくことができるだろうか。(これは、少し感傷的な脱線です。誠実さというのも微妙な問題だから)さて、どちらの扉を選ぼうか。

 ちなみにこの国の王はsemi-barbaric king(半分野蛮な王)であるという。だとすれば、その血筋を引く娘もsemi-barbaricである可能は高そうだ。それから、「血筋が良くて身分が低い若者」というのは、この手の物語の常套句であることにも注意したい。(その点では、シンデレラもその手の物語に分類することができる。そう考えると、シンデレラ・ストーリーというのは、現代の感覚と大分違うことが明らかになってくるのだが、それはまた別の話。)

 いずれにせよ、僕らの想像力は―欲望と同様に―尽きることがない。
最後に・・・避けて通ろうと思ったが、筆者が王女なら美女のいる扉を目配せする。だって、世界の多くの男女は虎を選ぶに違いないから。

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 ガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』(2003)は答えを出さない。実際にあったアメリカ、コロンバイン高校での銃乱射事件を背景にしていることから、事件の核心や思春期の少年少女の内面を描いた映画だろうと思って観ると、のっけから期待を裏切られることになるだろう。
 光の移ろいをカメラは繊細に捉え、子供たちの背中をカメラは時にやさしく、時に執拗に追いかけていく。時間軸から寸断されたプロットによって、カメラは同じ光景を何度も違う角度のショットから捉えなおす。少年少女の背中を追いかけていたカメラは、時に唐突に、どこか遠くのカメラに切り替わり、小さな被写体としての彼らを捉える。僕らがそういった視点操作から感じとるのは、確定的な意味ではない。違和感。奇妙なズレ。何かが捩れているであろう不安。だが、それこそ僕らの日常的光景にほかならないのではないか。ここに登場する普通の若者たちと事件を起こした少年たちの間に、何の違いがあったのだろうか。それゆえに、この映画は恐ろしいのだ。僕らは考えざるをえない。

 一体何が間違っていたのだろう?

 エメラルド色をした空の色が、雲の波間が、刻々と変化していく様をカメラはゆっくりと追っていく。僕らはそれを目で追うことになる。やがて、雲行きが怪しくなっていくのを僕らは知る。ここでも奇妙な違和感を僕らは感じることになる・・・だが、それをうまく説明することはできない。僕らには問題が大きすぎるのかもしれない。それこそ象(elephant)のように。

グッド・ウィル・ハンティング』や『小説家を見つけたら』にしても、ガス・ヴァン・サントはショット一つ一つを決して蔑ろにしない。構図を確と見定める。若手の監督でこれほど、ショットに自信をもっている映像作家は稀だ。その意味でも、もっと評価されてよい作品だと思う。

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自分が経験した文学、映画、音楽について紹介したいと思っています。自分の専門上、英文学と文学批評が中心になる予定です。コメント&トラックバックを頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
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