言葉だけでいいから、僕のこと、信じてくれないか。
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たった今、ビルの屋上から一人の女が飛び降りようとしている。飛ぶべきか、否か。彼女は靴を落とす。たまたま下を通りかかった男が足を止めて頭上を見上げると、なんと今にも女が飛び降りようとしているではないか。男は慌ててビルに飛び込み、非常階段を駆け上る。すんでのところで彼女を抱きかかえ、事なきを得るが・・・問題は、その後だ。九死に一生を得た彼女は、執拗に男に言い寄る。男は毅然してそれを跳ね付ける。やがて、女は途方にくれ、再びビルの屋上へと昇る。そして再び、

靴を落とす・・・




このゲームに終わりはない。こんなことが僕らの日常には溢れている。誰かが靴を落として、誰かが拾う。それだけのことなのに、僕らはいつも辟易している。もし拾ってくれなかったら?仮に拾ってくれたとして、その後どうなる?

その実、落とすのは簡単で、拾うほうが難しい。

この手の「終わりのない物語」はプロモーション・ビデオの常套句。それでもつい見てしまうのは、男女の顔が身近な誰かに似ているからかもしれない。Arctic Monkeysの音楽がなくても十分楽しめる?仕上がり。

※例によって、本文はビデオの内容とさして整合性のない、管理人の勝手気ままな随想です。

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街で偶然、彼女と再会。
僕は彼女にドーナッツをあげた。

懐かしかったわ
と彼女が言った。

その晩 僕はドーナッツの夢を見た。
僕は体中にドーナッツを貼り付けて走らされていた。
いろんなものが追いかけてきた。
見知らぬ熊も追いかけてきた。
とにかく、必死だった。

僕らはいつの日か
ドーナッツの真ん中について、考えなければならなくなる。

でも、その前に
ヤー・ヤー・ヤーの歌を唄っておこう。




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※1:The Flaming Lipsは、実験精神旺盛なバンド。カセットを複数の人間がデッキを使って再生するという通常のライヴ概念からまったくかけ離れた、エクスペリメンタル・ショウをやったことで有名。

※2:例によって、上記の文章はビデオ及び歌の内容とは殆ど関係ありません。

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僕らは穴を見ると覗きたくなるものだ。片目を閉じ、安易に中を覗き込み、その闇の深さにそっと胸をなでおろす。だが、穴は見つめれば見つめるほど肥大化し、やがて手の施しようがないほど深淵な闇になる。どこまでも暗く、深い。最早誰も―本人でさえも、―その穴を埋めることはできない。その実、僕らは知っている。「見ること」は「見られること」だ。穴を覗きこんだ主体そのものが、逆に自らを対象化するという逆説。象徴的な鏡の魔力。

男は床に開いた小さな穴を覗きこむ。カメラ・アイは穴の底から具に男の顔を捉え、僕らはそれを共有する。日々穴は広がっていき、男は穴に落ちる。だが、彼は這い上がろうとはせず、闇の中に留まろうとする。何故か?シュヴァンクマイエル初期の短編さながらのイメージだが、この映像はそこまでのダークさは持ち合わせていない。よりドライで、諦念の情に満ちた人間は、暗闇の居心地の良さを知っている。それはシュール・レアリスムでは表現できない。むしろ、目に見える何か(=穴)なのだ。それでも、人間は「闇」を共有したいと望まずにはいられない。男は言うだろう。

I will follow you into the dark.

かつてランボーは、谷間に横たわる名もなき兵士の銃痕(=穴)からカメラ・アイを引き下げることで、兵士の身体を言葉のみで表現した。この映像のベクトルは一見逆に思えるが、男が穴に近づいていけばいくほど、視点はそれを客体化し、穴の内側―それは常に外側でもありうる―から彼を傍観する。穴に埋没していく男は当然のように穴に縋り、やがて闇に呑まれていくだろう。穴を塞ぐすべを知らないから。

それでも忘れてほしくないのは、ファースト・カットとファイナル・カットに、窓の外からの声が挿入されていることである。小部屋の外には光が溢れ、子供たちの声が絶え間なく響いている。果たして僕らはそれを聴き取ることができるだろうか。


※1:Death cab for cutieは、シアトル出身の若手ロック・バンド。良質なポップ・ミュージックを量産し続けている。彼らのBody meets Soulという曲のPVも一見の価値あり。

※2:監督はRadio head,Cold Play等、UKのロック・バンドを中心にPVを製作している、鬼才Jamie Thraves。

※3:本文は歌詞の内容とは殆ど関係ありません。管理人の極めて個人的な随想です。歌詞を知りたい方はmore...をクリックしてください。

→PV視聴

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学校で苛められている少年が、父親が運転するJCB(ショベルカー)に載せてもらい、いじめっ子を退治する様子を夢想する歌。少年は学校が大嫌いなのだ。

And I’m so glad I’m not in school boss, so glad I’m not in school, oh, no.


それでも、父親のJCBに載せてもらっている間だけ、少年は自由でいられる。彼は父親の強さとブルース・リーの強さを重ね合わせ、自らの孤独に誇りを感じているのかもしれない。

PVのアニメーションはとても可愛らしくて、僕らのノスタルジーを刺激する。まるで子供の頃に読んだ絵本のようだ。でも奇妙なことに気づく。子供向けの絵本なら左から右に物語が進むはずだが、このアニメーションは逆に右から左へと流れていくのだ。これは想像でしかないけれど、このアニメーションは僕らに「回想」を求めているのではないだろうか。ここでは敢えてそう読みたい。少年時代の苦く切ない思い出―それはいつも両義的なものであるに違いない―を父親のJCBに託して「回想」すること。その美しさと残酷さをポップに仕上げるセンスが、人々の心を掴むのかもしれない。
ちなみに、このアニメーションはよくできているなあと感心して見ていると、最後に「こんな手間のかかるビデオはもうしません」という手書きの文が何個も出てくる。学校で、「こんなことは二度としません」と何度も書かされている子供みたいだ。時々スペルを間違えて書き直したりしているあたりが微笑ましい。

昨年の12月、無名の新人NizlopiのJCBsongは、イギリスで爆発的な売れ行きを記録した。プレスはJames Bluntらのヒットソングと並べてクリスマス商戦のただ中にこの曲を投げ込んだ。確かに一見ほのぼのとしたフォークソングだし、PVもよくできているだけに、売り方に戦略的なものを感じざるをえない。そうだとしても、何か妙な含蓄が感じられるだけにJCBSONGはユニークなポップソングになっている。この歌を「暗い」という人もいるけれど、僕はそうは思わない。というか、それだけではない。

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 少年はいつも一人で遊んでいる。キャッチボールの相手はいつも案山子。そんなある日、少年は向日葵畑で怪我をしたカラス/男を発見。少年はそっと箱に入れて家に持って帰り、母親に尋ねる。
 
 「ねえ、お母さん、家で飼ってもいい?」

 当然受け入れられるはずもない。その後少年は暫しの間、カラス/男と戯れる。念願の、キャッチボール。だが、カラス/男は突然動かなくなってしまうのだった・・・
 一見明瞭なストーリーがあるようでいて、曖昧な作りになっているのが面白い。それは、カメラがあくまで子供の眼差しだからだ。(バンドのメンバーが現れるのはご愛敬だけれども。)ひょっとして、カラス/男は父親ではないのだろうか?そんな想像力をかき立てられてしまうPV。

 Modest Mouseはアメリカらしからぬアメリカのユニークなギター・ポップ・バンド。日本ではまだあまり紹介されていないようだ。

 ふと、遠い夏の日を思い出す。子供時代に向日葵畑なんて見たことがないはずなのに。




→"Ocean Breathes Salty"video※ページ一番左上のvideoです。

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